ロスジェネはえてしてこだわりすぎる

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2020年6月に下北沢本多劇場で行なわれた舞台『齷齪とaccept』の配信を観劇しましたのでレポートします。

アーカイブ配信なしのリアルタイム視聴のみ。ビジネス的には明らかにアーカイブありの方が望ましいのにそうしないのは「舞台は一期一会」というこだわりゆえでしょうか。

We are back!!


2020年6月1日より下北沢の本多劇場が再開されました。

小劇場の聖地。
私も舞台を観に行くようになる前からその名前ぐらいは知っていました。

行なわれるのは11人の演者の日替わりによる「一人芝居の無観客生配信」。
そしてその中に「井上小百合」の名前がありました。

役者になりたいのに「君には無理だ」と言われて悔し涙を流した少女が、10年後に小劇場の聖地に、かねてから彼女自身「あそこに立ちたい」と言っていたその場所に立つ。

それだけでも感動的なのに

 演劇の灯を消すな

多くの人のそんな願いを込めてこの状況で行なわれる公演に選ばれた。

こんなシナリオ、誰も想像できないですよね。

「元乃木坂」の集客力を期待して。もちろんそれもあるでしょう。
ただ本多劇場に再び灯がともる日にその場にいることを許された。いやそれどころか請われてその場にいるというのはもうそれだけでさゆ推しとしては感極まりそうです。

これだから井上小百合推しはやめられない笑

演じたのは『齷齪(あくせく)とaccept』。
『じょしらく』の川尻恵太さん脚本(そもそも「DISTANCE」全体の企画も川尻さんです)で、初演は同じく『じょしらく』の『弐』で共演した小山めぐみさん。演出のニシオカ・ト・ニールさんも『じょしらく』で演出助手を務めていた方。

ちゃんと、乃木坂としての彼女の日々とつながっているんです。

かなえたい夢があるのに、それに向かって進んでいる感じが全然なかったアイドルとしての最初の数年間。それでも歯を食いしばって歩き続けた本人と、それを支えた周りの人々へのご褒美のような今回の抜擢。

まじめにやればいいことあるもんだな。

そんな感慨すら覚えます。


Baby Goodbye


そして、舞台に立った井上小百合はいつものように我々を驚かせてくれました。

あらすじを一言でいうと、戦争に行って帰ってこない作家の夫を50年間待ち続ける女性の話。

基本的には主人公の若い時から老婆になるまでを演じるのですが、一人芝居かつセットも最小限で衣装替えもなしという制約の中で、夫の書いた小説や回想シーンの登場人物に至るまで様々なキャラクターを流れるように演じ分けていきます。

『奇跡の人』のヘレン・ケラーとサリヴァン先生の名シーンを毒たっぷりに演じたり、「ヤギのマネ」や「恋に落ちたダンス」が気持ち悪い動きで最高に可愛かったり。
個人的に一番良かったのは『ジャック・ザ・リッパーふざけるな』の歌でのすっとぼけた表情ですね。

前半はコメディエンヌとしてのさゆの魅力が存分に発揮されていました。

やがて後半に差し掛かり物語が徐々に趣を変えてゆくにつれ、私はタイトルの意味が分かったような気がしました。

「齷齪と」=懸命に、「accept」=受け入れる。
「齷齪と」は「悪戦苦闘」も掛けているような気がします。
つまり「受け入れがたいことを懸命に受け入れる」姿を描いているのではないでしょうか。

受け入れがたいこと、それは「あなたの不在」。

想いが強すぎるからこそ、それに50年もかかってしまった。
そんな悲しくて滑稽で愛おしい人間の姿。

辛いからふざける。泣きたいからはしゃぐ。
前半のドタバタな演技が物語の後半に見事に収束していく様は圧巻でした。

そしてラストシーンで表現されていたのはふたつの相反する感情。

ひとりでいることの絶望的な孤独と
ひとりでもひとりじゃないと感じられることの暖かさ。

この両方を自分の中に感じた時、やっと主人公は夫の不在を受け入れることができたように思います。(本当は死んだのは夫じゃなくて主人公だったのかな?と思わせる余韻でしたけど、どうなんでしょう)

上で書いた「悲しくて滑稽で愛おしい人間の姿」。そのすべてを表現した井上小百合。

めちゃめちゃ気合入っててめちゃめちゃ強い思いでこの舞台に臨んでいることが観ている者に伝わる、素晴らしい演技でした。

終わった後の噛みしめるような「楽しかった…」がまた良かったですね。


2020年7月6日に井上小百合公式Youtubeで公開された「【井上小百合】「アイドル卒業後の女優業に密着」でこの公演の一部やリハーサルの模様を観ることができます。

川尻恵太さん、そして新たな所属事務所であるシス・カンパニー代表の北村明子さんのコメントも非常に興味深いのでぜひ一度ご覧になることをお勧めします。



そして「DISTANCE」も第2弾として8月に客席稼働率を下げての有観客+配信という形で開催することが発表され、今回も井上小百合は出演者に名を連ねています。



同じ『齷齪とaccept』なのか他の演目なのかはまだわかりませんが、こちらも非常に楽しみです。



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この記事はミュージカル『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』の内容に関するネタバレを含みます。

超実力派たちの競演または饗宴あるいは狂宴


この見出しの通り、出演者すべてが超実力派でとてつもなくゴージャスでクレイジーな演技をされていました。

スペースの都合でここでは3人だけ触れます。

まずはシーモア役。Wキャストでしたが私が観劇した日は三浦宏規さん。
『テニスの王子様』『刀剣乱舞』と2.5次元の超人気作からあの『レ・ミゼラブル』まで出演されている超のつく実力派。しかもまだ21歳。って本当?さゆより若い笑

シーモアというと個人的にはどうしてもJ.D.サリンジャー『バナナフィッシュにうってつけの日』のシーモア・グラースを思い出してしまいます。もうそれだけで悲劇の予感しかしないですね。

当初の優しいフニャ男の演技が非常に良く、可愛らしい。(だからこそその後変わっていくのが悲しいのです)
そしてオードリーⅡ(以下「Ⅱ」)のブレイクにより周囲の状況が変わっていきそれに流されていく姿、さらに言葉を話し始めたⅡの要求に苦悩。さらにⅡに「食事」を与えるようになった時の狂気をはらんだ表情。そこから我に返りⅡと対決しようとする姿。オードリーの最後での哀切な表情…

ひとりの青年が成長し狂気に墜ちそして大切なものを失い命を懸ける決意を固めるまでの姿を演じ切っています。

シーモアって「何もない」普通の人なんですよね。ごくごく普通でちょっと気弱な青年が親に捨てられスキッド・ロウという過酷な環境で生きてきたために自己否定の傾向が非常に強くなり、それと同時に内部には少しずつゆっくりと負の感情が蓄積してしまっていた。

妬み。恨み。憎しみ。

凶行のたびに自分を納得させる何らかの理屈が必要で、一生懸命自分に言い聞かせながら狂気に墜ちて行く。でもそれは実は自分の内側に元からあった負の感情を開放していることにほかならない。だから彼は毎回苦悩するのです。

「本当は最初から全部お前の望んでいたことなんだろう?」そう、自分に問いかけながら。

その表情が三浦さんは素晴らしかった。


オリン役の石井一孝さん。
この方も『レ・ミゼラブル』でマリウスやジャン・バルジャンを演じたベテランの超超実力派。

オードリーの彼氏にしてサドの歯医者。人が苦しむ顔を観るのが悦楽という最低最悪のクズなのになんか憎めない。

もう全部の圧が凄い!
ただでさえ超絶イカれたキャラクターを濃いい顔とパワフルなダンスと爆発的な歌唱力で演じられるのですから。胸やけしまくり、でもまだ食べたい!って感じです。

『歯医者さん(Dentist)』の歌唱も凄かったのですが、やはり白眉はシーモアとの対決シーン。
ガスを吸ってハイになりながら最後は窒息してしまうのですが、苦しそうにジタバタしながら狂ったように笑いそして歌う。いや~壮絶クレイジー(褒め言葉です)。

まさに「怪演」でした。すんばらしい。


Ⅱの声、デーモン閣下

言わずと知れた相撲通の御方です笑
なんといっても1人称が「吾輩」なんですよ!「デーモン小暮そのものじゃん!」と笑いながらも完全にⅡでもあるという離れ技。

そして当然ですが歌唱力がバキバキに高いのでシーモアとのデュエット曲であるロックナンバー『持ってこい(Git it)』の気持ちいいこと。

もはやⅡの声は閣下以外に考えられないぐらいのはまり役でした。


ショー・ストッパー


井上小百合にとってこの『LSOH』が乃木坂46の名前を背負って上がる最後の舞台。
開幕前からこの舞台のラスト大阪公演を4月26日まで勤め上げ、その翌日の27日をもって卒業することが発表されていました。

妃海風さんとのWキャスト。東京ではさゆは3月14日から4月1日まで14公演に出演するはずでしたがコロナ禍により初日から3月19日までの公演が中止。20日から再開するも28日から千秋楽までの公演が再び中止。

そして東京公演以降に予定されていた山形、愛知、静岡、大阪と周る全国ツアーもすべて中止となります。

結局、井上小百合がオードリーとして舞台に立ったのは6回だけでした。

もちろん、彼女だけの話ではありません。
この時期から記事作成時点まで乃木坂の中でも何人ものメンバーが公演の中止を味わいました。その多くは全公演中止の憂き目にあい、中村麗乃の出演した『SUPERHEROISM』ではたった1日だけの公演ということもありました。

でもやっぱりさゆは無念だったと思います。

この舞台を成功させるため、断腸の思いでバースデーライブの出演を絞ってまで懸けていたのに。

本人はそういう言葉を口にはしなかったけれど「乃木坂の井上小百合の総決算」として気合が入りまくっていたでしょうし、これまで応援してくれた東京以外のファンの元へ行ける機会も心待ちにしていたはずです。


そして舞台に立った彼女が演じたヒロイン、オードリーはなかなかに衝撃的なキャラクターでした。

ざっくり胸元が開いた娼婦のようなドレス。過去最大級の露出度。正直こちらが照れてしまって正視しづらいぐらい。

DV彼氏と付き合って顔に青タン作ったり三角巾で腕を吊ってたりという痛々しい姿でも「だって彼はお金持ちだから」と屈託なく微笑む彼女。それを今までのさゆからは聞いたことがない、ベティちゃんみたいなファニーボイスで言うのです。

最初はこれ「男に媚びる女」というキャラづけだと思ってました。途中で素直な自分を出すようになったら普通のしゃべり方になるんじゃないかと。

でもそうではありませんでした。
彼女は聖なる愚者、映画『道』のジュルソミーナだったんです。(しゃべり方も最後までそのまま)

少しおバカさんだけど綺麗な心を持っていて、シーモアの優しさも魅力も、そして自分に好意を寄せていることもすべて気づいていました。

しかし舞台となっているのはロサンゼルスのダウンタウンで「全米最悪の危険地帯」とも言われるスキッド・ロウ。そんな街で生まれ育ったオードリーはきっと「綺麗なままではいられなかった」のでしょう。

結果として強い自己卑下や自己懲罰傾向を持つようになった彼女は「シーモアみたいないい人が自分のような女と一緒になっちゃいけない」「自分はサディストのオリンにすがりついているのがお似合いだ」と考えます。

だから『どこか緑に囲まれた場所で(Somewhere That's Green)』で彼女は歌います。
緑の多い郊外の小さな家でシーモアと慎ましくも幸せな家庭を築きたい。
「でもそんなの夢ね」と。

しかしついに、そんなふたりの心が触れ合う時が来ます。

『サドゥンリー・シーモア(Suddenly Seymour)』。

「自分なんて幸せになるに値しない」とサディスティックなオリンに傅いていたオードリーが、ついに自分を肯定し「こんな私でも幸せになっていいんだ」と思えた瞬間。
(しかしその時既に相手のシーモアは多くの罪を犯し「幸せになってはいけない人」になっていたというのがまた辛い)

そのカタルシス。
だからこそこの『サドゥンリー・シーモア』は心を揺さぶるのです。

そしてそれは8年間アイドルとして頑張ってようやく役者としてのスタートラインに立てたと感じ卒業を決意した井上小百合に、ほんの少しだけ似ています。

だからでしょうか。
もの凄かった。

あの「さゆにゃん」が。『初恋の人を今でも』を星野みなみと可愛いくてか細い声で歌っていたあの井上小百合が。

ド迫力の野太い声で

ツァァァドゥウンリィィィイヅゥイィイムゥオォァァァァァア!!!!

そりゃ涙も出ますよ。

1982年のミュージカルと1986年の映画の両方でオードリーを演じたエレン・グリーンのド迫力の歌唱を研究したのでしょうか。それに通じる凄味。
その歌唱と演技に、もう歌詞なんて全然頭に入ってきません。
ただただ圧倒され、痺れるだけです。

いつ、突然千秋楽が訪れるかわからない。
そんな状況に「ここを死に場所と定めた時の井上小百合の爆発力」が炸裂します。

アンダラ2ndシーズンや『リトル・ウィメン』で観せた「あれ」。それを改めて見せつけられた思いです。





最後になってしまいましたが、このミュージカルは大前提として曲が素晴らしいんですよ。
そりゃ巨匠の出世作にもなるわな、っていうと偉そうですけど笑

『サドゥンリー・シーモア』があまりにも良すぎて家帰ってから調べたら、言わずと知れたミュージカル史に残る名曲なんですね。

実際に今回シアタークリエで演奏しておられた方が『LSOH』の曲をリモート演奏してYoutubeに上げています。

 

とても素敵な演奏なので、観劇された方もできなかった方にもぜひ一度聴いていただきたいです。


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この記事はミュージカル『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』の内容に関するネタバレを含みます。

『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』とは


2020年3月、日比谷シアタークリエで行われたミュージカル『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』を観劇してきましたのでレポートします。非常に有名な作品ですが映画もミュージカルも観たことがなく、例によって事前情報なしの状態で行きました。

あらすじ


さびれた街の小さな花屋で働く冴えない青年シーモア(鈴木拡樹/三浦宏規)は、店主のムシュニク(岸祐二)に怒られてばかり。シーモアは同僚のオードリー(妃海風/井上小百合)に恋をしているが、彼女にはオリン(石井一孝)という歯科医のボーイフレンドがいる。

ある日、シーモアは町で奇妙な植物を手に入れる。意中のオードリーにちなんで、“オードリーⅡ”(声:デーモン閣下)と名付けたその植物を店に置くと、客の来なかった店がなんと突然、大繁盛!

しかし、“オードリーⅡ”には、人びとを魅了する不思議な力がある一方で、あるとんでもない秘密が隠されていた。“オードリーⅡ”によってシーモアの人生は一変し、一躍有名人となるのだが――。

公式サイトより引用)

元々は1960年に公開されたアメリカのB級ホラー映画だったこの作品。
それを1982年に脚本・作詞ハワード・アッシュマン、作曲アラン・メンケンのコンビでミュージカル化します。最初は小劇場での公演でしたがこれが大ヒット。1986年にミュージカルから逆に映画化されこれもヒット。2003年にはブロードウェイで上演されるまでになります。

そう、後にディズニー映画『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』と爆発的なヒットを連発する最強コンビの出世作なのです。残念ながらアッシュマンは『美女と野獣』の製作途中に41歳の若さで早世しています。


日常が消えた街で


コロナの感染拡大状況が日々変化する中で、この舞台も3月13日が初日の予定でしたがいったん16日に、さらに20日まで延期となります。

いつ開幕できるのかわからない不安な状況が続きましたが、ようやく20日(「何とか踏みとどまっている」と言われていた頃です)に様々な対策を講じたうえで待望の初日を迎えることができました。

しかしその後も事態は動き続けます。25日に東京都が「週末の外出自粛要請」を出し、それに応じる形で28日から千秋楽までの公演が再び中止。

8日間。演者、スタッフ、関係者、そして観客の誰もがいつ突然来るかわからない「終わり」におびえながらの開催でした。

私自身、この日の観劇は凄く悩みましたし罪悪感もありました。

シアタークリエも扉が全開放され入場時にはサーモグラフィー。客席でのお喋りの声もほぼ聞こえません。休憩時間も10分延長され換気を徹底。その間劇場外への退出も可能でした。

もちろん人は演劇がなくても生きていける。
言われるまでもなく「不要不急」なのはわかっています。

でも今回のコロナ禍によって、自分がいかにそういうものに支えられていたか思い知らされました。

そういう方が多かったのでしょう。

幕が上がった瞬間の客席からは、思わず息が漏れてしまったかのような何とも言えないうめき声が聞こえました。

舞台に立てる喜びと舞台を観れる喜び。
それが舞台上からも客席からも溢れ出てしまっていて。私も最初は鳥肌立てて感動してたんですが、なんか途中からもう嬉しくて嬉しくて。

観ている間ずっと幸せでした。



今日が千秋楽になるのかもしれない。

そう思った時に伝えたいのは感謝です。
この日、当然のようにスタンディングオベーションが起きました。恐らく全公演そうだったのではないでしょうか。

あのような状況の中でモチベーションを保ち続けた演者の皆さん、開催に向けて懸命の努力を続け、今できる最善の対策を行なわれたスタッフならびに劇場関係者の皆さん。

心からの感謝と敬意を表したいと思います。


続きます。

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この記事は舞台『天国の本屋』の内容に関するネタバレを含みます。

ミュージカルであることの制約


前の記事では朗読している本の場面が背後でミュージカルとして演じられるという特徴的な演出について、楽しげだった反面、登場人物の内面の掘り下げが不十分になったように感じたと書きました。

この記事ではその理由について書きます。ちょっと辛口です。

まず、この演出によって河合郁人さん演じるさとしの朗読の何がそんなに聞く人の心に訴えたのかがよくわからなくなりました。背後のミュージカルによって加えられたのは「臨場感」や「迫力」という要素です。

でも違う気がします。
河合さんの朗読はむしろ素朴であり、幼い頃に親にしてもらった読み聞かせを思い出すようなノスタルジーを感じさせるもの。それが聞く者の心のどこかにある扉を開けるのでしょう。(原作を読んでいないので正解はわかりませんが)

演出の菅野こうめいさん自身「これ、ミュージカルになるの?と思った」末に「ある秘策を思いついた」とこの手法について語っています。
でもミュージカルありき、歌を入れなきゃいけないというのが先に立ってしまって、この物語が本来持っている繊細さや儚さといった要素がスポイルされてしまったように思います。

前の記事でも書いた通り、アップテンポな序盤の曲を声を張って歌って踊らなきゃいけない(設定の説明が観客に伝わらないため)ことが井上小百合演じるユイのキャラクター造形にも影響を与えてしまっていますし。

正直、普通の舞台で良かったんじゃないかな。
ストレートプレイでは既に舞台化されているので企画の意図はわかるんですけれどね。


ユイが主人公を好きになるのも正直よくわからないです。

しつこいくらいにつきまとって声をかけているけれど、そんなに相手のことを思いやっている様子は表現されていませんでした。自分のペースで好き好き光線出しまくってうっとうしい感じ。

押しに弱くて熱意にほだされてしまう人もいるとは思うけど、ユイはそのタイプではないのでは?
まああれだけのイケメンに猛烈アタックされたらたいていの人はなびくだろうと言われりゃそれまでなんですが笑

一応台詞では「気にかけてくれて本当は嬉しかった」的なことを言っていますけれど、そこのプロセスを描写するシーンや台詞が不足していたと思います。

奇跡は成長のご褒美がいい


ラストシーンも物足りなさを覚えました。

現実に戻る決意をしたさとしの演技は凄く良かったんですよ。
観る者に「おお!ヘブンズブックサービスで一人前の男へと成長したのか」と感じさせる晴れやかな表情と立ち居振る舞いで。

と思いきゃ言うことは

「僕は絶対彼女を探し出す」

…がっくり。

え?それだけ???人間的な成長は?大好きなあの子のために頑張るなんて小学生でもできることだよ?なんも成長してないただのイケメンのままじゃん!

そうじゃないでしょ。

志望動機もまともに言えないようなヘタレ就活生だった彼が、ヘブンズブックサービスで「誰かの心に寄り添える」という自分の良さを発見した。だからそれを活かしてこの先の人生を歩む、目先のこととしては方向性を持った就職活動を行う、ですよね。

その中でいつかユイに会えるという奇跡があれば。じゃないの?

エンディングでは現実に戻って早々にユイと再会。
しかも彼女は失っているはずの天国での記憶を取り戻していた(恐らくヤマキの計らいで、ってことなんでしょう)。

いや、ご都合主義にもほどがある。

まあ直近で観たのが『キレイ』のドロドロの世界だったんで、その反動でこういう素直に思い通りになる話が受け入れにくくなっているだけかもしれませんが笑


私が勝手に思う美しいエンディングはこうです。

何年かの時が過ぎた。
あの頃のことはもうあまり思い出さなくなったけれど、今はこういう仕事をしていて自分なりに頑張っている。

そんなある日、街中でふいにユイそっくりな女性と出会い勇気を出して話しかける。

「本がお好きなんですか?」

「ナンパですか…?」と後ずさりする彼女に

「昔、本屋のバイト仲間にあなたとよく似た人がいたんです」

微かな笑みを浮かべる彼女。で幕。
相手が記憶を失っているユイなのか、全く別人なのかは語られずに終わる。記憶を取り戻しているユイってのは正直、論外。

「あれはユイなんだろうか?」「このふたりはこの先どうなるんだろうか?」と明るい未来を予感させる余韻を持たせるべきだったと思います。
これであれば、さとしの成長した姿も描写できますし。

原作でもふたりは再会して結婚しているらしいのでそこは変えなかった(変えられなかった)のでしょうが、即ハッピーエンドはちょっと安易だなあ。


全体としてミュージカルの楽しさは表現できていたけれど、結果的に物語としての繊細さや奥深さ、余韻といったものが足りなかった。

ちょっと惜しい作品だと思います。

珍しく辛口なレポになりましたが笑、さゆがこれまでいかに作品に恵まれてきたかがわかりました。


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この記事は舞台『天国の本屋』の内容に関するネタバレを含みます。

2020年1月、よみうり大手町ホールで行われた『天国の本屋』を観劇してきましたのでレポートします。原作は読んでませんし映画版も観ていない、事前情報なしの状態で行きました。

ミュージカル+朗読


井上小百合、2020年最初の舞台。

まず、チケット取るのが大変でした。主演がA.B.C-Zの河合郁人さんだからでしょう。さすがジャニーズって感じです。年末の『キレイ』同様に1回しか観劇できませんでした。さゆの舞台ではもの凄く久しぶりです。たぶん2016年の『じょしらく弐』以来。

あらすじ


就職活動中のさとし(河合郁人)は、ヤマキ(ブラザートム)というおかしな男に”天国の本屋店長代理”にスカウトされ、一時的に天国に連れて来られてしまったごく普通の大学生。その『ヘブンズブックサービス』(=天国の本屋)では、すでにユイ(井上小百合)という不思議な魅力のある緑色の目をした少女が働いているが、さとしに全く馴染もうとしない。ヤマキは、ユイは心に傷を負いリハビリ中なのだと告げる。

さとしは、とりあえず店長代理という事で働くことにした。すると、「お兄ちゃん、これ読んで!」と、本屋に遊びに来る子供たち。そう、『ヘブンズブックサービス』には、本を読んであげるサービスがあったのだ……。

最初は気が乗らないさとしだが、子供たちの純粋さにひかれ、一生懸命要望に応えようとする。そんなさとしの姿に、ユイも少しずつ心を開き始めた。

そんなある日、ユイの過去を知るときが来て―

公式サイトより引用)

最初に思ったのは「音がデカい」でした。

PAの設定なのか本職のミュージカル俳優が多かったからなのか、最初の歌からけっこう歌声が大きいと感じました。

特徴的だったのが朗読にかぶせて演じられる劇中劇。

さとしが朗読サービスとして『泣いた赤鬼』や『ナルニア国物語』を読むと、その場面が背後で演じられる演出になっていました。演じる皆さんが芸達者な方ばかりなので非常に楽しげな雰囲気が醸し出されていました。

ただその反面、登場人物の内面の掘り下げが不十分になったように感じました。
この点については次の記事で詳述します。

アイドル+芸人+ミュージカル俳優のバランス


キャストの皆さんについて。

主演の河合郁人さん。

頼りない優男をうまく演じるのが実にジャニーズ。そして現実に戻ることを決めた時の真っ白なスーツを着た清々しい表情は見事でした。
ただ歌唱力はもうひと声という感じでした。もちろん下手ではないですし声量も十分だったのですが、若干ナチュラルにフラット気味だったように思います。
『リトル・ウィメン』の林翔太さんの印象が良すぎたので、そことの比較でそう感じるのかもしれません。

ヒロインの井上小百合。

キツい表情でいつも怒っていてツンツンしているユイ。
本人は「ユイは口調とか人との接し方とかぶっきらぼうな性格が自分に似ている」と語っていますが、さゆは本来ほわほわの表情で毒を吐くタイプなのでちょっと本人とは違いますね。
(余談ですが本人に近いのは『大人のカフェ』の「井上」かと)

過去の出来事で心に傷を負っているという設定からすると、もっと暗くてボソボソしゃべって強い拒絶の台詞だけ大きく、の方が良かった気がします。ちょっと生命力がありすぎるというか。
ミュージカルでしかも序盤の歌がアップテンポなものばかりなので声を張る必要があり、そことのバランスを考えるとあまり小声で台詞を言えなかったのではないかと想像しています。

個人的にはもっと自分の世界にこもった感じのキャラクター造形の方が、終盤でさとしに心を開くシーンでのギャップも際立つのでベターだったと思います。

そこの不満はさておき、心を開いてからラストシーンまでのユイは、清楚で穏やかなザ・ヒロイン。もちろんアイドルですから得意中の得意です笑
といってもさゆが演じた中で同じタイプは『帝一の國』の美美子ちゃんぐらいなのですが。

それ以外にも色々な姿を見せてくれてファンとしては楽しめました。
ニンテンドーSwitchをプレイしている姿は可愛いし、デニムのショートパンツで露出度も過去最強レベル。(と思ったら直後の『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』であっさり記録更新されるのですが笑)
ある曲でのダンスの腰つきが完全にフラガール引きずっている切れの良さだったのがなんだか嬉しくなりました。

ブラザートムさん。

飄々としている。もちろん普段のお姿は存じ上げませんが「普段からこういう人なんじゃないかな」と思わせる自然極まりない演技。
そしてなんかでっかい。せっかくの阿見201さんのデカさを若干薄めてしまっていました笑

ヘブンズブックサービスの凸凹コンビを演じた阿見201さんとカズマ・スパーキンさん。
歌もダンスも上手なこのおふたり。調べてびっくり、浅井企画の芸人さんなんですね。

この5人は言ってみれば別の畑からの人なんですが、それ以外の皆さんはミュージカル俳優として多くの実績のある方々。

特におばあさん役の末次美沙緒さん、やたらと歌が上手いなと思ったら劇団四季出身の方でした。そりゃ上手いわけですね。


観ていて感じたのは全体のバランスの良さ。
アイドルふたりが輝きを放ち、芸人さんたちがコミカルなテイストを加え、ミュージカル俳優の皆さんがビシッと舞台上を引き締める。

もちろんみんな歌って踊れて演技ができることが大前提ですが、それぞれの得意分野がうまく融合していました。

この舞台でさゆが観せたのはスポットライトを浴びた時にパッと輝ける能力=アイドル性。そう考えると彼女のアイドルとしての歩みは舞台女優としてもちゃんと武器になるのだと感じました。


続きます。

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