deux補正2
2020年7月に新宿紀伊國屋ホールで行なわれた舞台『銀ちゃんが逝く』の配信を観劇しましたのでレポートします。

仰いだ青い空が青過ぎる


本来は通常の舞台として2020年7月4日~27日に全24公演を予定していましたがコロナウイルスの影響により開催中止が発表されます。

しかし「リモートによる稽古で、向き合わず、俳優のエネルギーを伝えあう演劇」に挑戦し「朗読という名の演劇」へと形を変え、7月10日~12日のわずか3日間、全5公演の開催となりました(後に追加公演としてさらに5公演ありました)。

まあ「朗読劇」と謳ってはいましたが実際には朗読でも何でもなく「胸ぐら掴むのと抱き合うのだけはNGにした普通の舞台」でした。演者が台本を手元に置いていたのはナレーションを行なう時だけだったと思います。

公式による解説とあらすじはこちら。

蒲田行進曲とは

つかこうへいの代表作『蒲田行進曲』は1980年紀伊國屋ホールで発表された。
同年第15回紀伊國屋演劇賞を受賞。その後、小説として第86回直木賞を受賞、1982年映画化され、第6回日本アカデミー賞を独占した傑作中の傑作である。
そして1987年蒲田行進曲の完結編として発表された『銀ちゃんが、ゆく』は1994年舞台化され、1997年新国立劇場小劇場の柿落とし公演として上演された。

あらすじ

「新撰組」の撮影が進む東映京都撮影所。
初の主演映画に意気込むスター俳優銀ちゃん(味方良介)が、子分の大部屋俳優ヤス(植田圭輔)に 自分の恋人小夏(井上小百合)を押しつけることから物語は始まる。小夏は妊娠しているのだ……。
ヤスは銀ちゃんに見せ場を作り、小夏のお産の費用を稼ぐために、 危険な「階段落ち」に挑戦する。

しかし、ヤスが命をかけて生まれた娘のルリ子は、不治の病に冒されていた。そして小夏も、心の底からヤスを愛することはできなかった。
銀ちゃんは、自分の貧しく卑しい生まれの血のせいでルリ子が病気になってしまったのではないかと苦悩する……。

そして、新たな「新撰組」の撮影が始まる。
銀ちゃんは「俺の命と引き換えに娘の命を助けてくれないか」と祈る様な気持ちで一世一代の「函館五稜郭の石階段落ち」に挑む。
果たして銀ちゃんの祈りは、娘の病に打ち勝てるのだろうか?

(公式サイトより引用)


一幕がヤスの階段落ちまで、要するに『蒲田行進曲』部分。
二幕は銀ちゃんの階段落ちの話ということになります。

あまりにも有名な『蒲田行進曲』ですが、実は映画版は観ていません。

学生時代に小説を読み、女性蔑視や下品な表現が含まれた数多くの台詞にかなり強い生理的な拒否感を覚えました。少なくとも敢えて映画を観ようとは思わないぐらいの。
そのためこれまでに触れたつかこうへい作品はその『蒲田』の小説版のみ。

現在の感覚ではなおさらでしょう。コンプライアンスに引っかかりまくり。

ただ井上小百合が出演するとなれば観ないわけにはいきません。

この日、配信とはいえ初めて「つか舞台」に接しました。

衝撃でした。



でも、でも、でも、でも、


そこにあったのは、渦。

とんでもない量のエネルギーと感情が舞台上という中心点で渦を巻いていて、観ているこちらが引きずり込まれそうなある種の恐怖感にも似た感情。もしかしたら、演者たち自身でさえそこに引きずり込まれまいと必死に抗っているのかもしれないとさえ感じました。

うわ…画面越しでこれかよ。
そう思いました。

この熱量の芝居をリモートで稽古した?
信じられない。

「激情」「ハイスピード、ハイテンション」などと表現されるつか舞台。

その特徴のひとつともいわれるのが早口でまくし立てるような台詞回し。
でも演者の皆さんが上手いのでしょう、台詞の聞き取りはそれほど苦ではありません。

ただ普通に喋る台詞と叫びに近い台詞(これがまた頻繁にある)との音量の差が激しく、観ながらたびたびビクッとしました。ライブ配信なんで極めて困難でしょうが、ここはもうちょっとPAで調節していただけなかったものかと。

観る前に懸念していた自分自身の拒否反応は、やはりゼロではありませんでした。

特にヤスが身重の小夏を罵倒し足蹴にするところは観ていていたたまれない気持ちになり、早くこのシーン終わってくれと思っていました。

でも。

さんざん小夏をいたぶり倒した後で、汗と涙と鼻水でグチャグチャになった顔で「切なかったんだ、この心が」と吐露したヤスが、「銀ちゃん、小夏は俺の宝なんです」と語るヤスが、

なんかもう、愛おしかった。

幸せになってほしかった。

そう思ったってことは、私もきっとつかこうへいのマジックにかかったのでしょう笑


個人的に思ったのは現在のコンプライアンスに則って、かつ時代設定も現在にしてやったらどうなるんだろう。と。

スターになるために付き合ってた彼女を捨てる、のはまあありそうな話としても「スターになる」が確定するのってどのタイミングだろう、とか。
階段落ちに相当するような命がけの仕事ってなんだろうか、とか。

色々考えていたらちょっとここに書くとお叱りを受けそうな黒~い想像になってしまいました笑

ヤスも現在を舞台にしたらもっとサイコパスなキャラクターになりそうで怖い。
部屋でふたりきりになったとたん豹変したり、SNSで小夏の私生活を流して攻撃させたり。

うあ~絶対観たくない笑


だいぶ話が逸れてしまいました。

私は本当なら誰も虐げられない話が観たい。『リトル・ウィメン』が理想です。完璧に美しい世界だけど決しておとぎ話ではなく、しっかりと現実を生きる人間の美しさがある。そして現実もそうであればどんなに良いかと思います。


 

ただ、この『銀ちゃんが逝く』の登場人物たちの自分勝手で矛盾していて醜悪でありながら、己の命を燃やす姿に美しさを感じたのも事実です。

それはつか作品について時折使われる「弱者に寄り添う姿勢」によるものなのかもしれません。

うまく言葉にできないし、全面肯定もできません。
でも、観てよかった。

それだけは間違いなく言えます。


各キャストについては次の記事で書きます。

続きます。

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