実に橋本絵莉子
橋本絵莉子が天才だ、なんてことは誰でも知っている。
わざわざ私なんぞが説明するまでもなく、自明の理だ。
もし不幸にしてあなたがご存じなかったら、今すぐに初期チャットモンチーの楽曲『恋の煙』や『湯気』を聴いてみていただきたい。
まずお聴きになり、しかる後にこれらの楽曲が詞先で作られた(たぶん)ということに震えてほしい。
…などと大上段に構えた文章をつい書きたくなるぐらい、自分にとってチャットモンチーそして橋本絵莉子(以下「えっちゃん」)は特別な存在です。
2018年7月のチャットモンチー「完結」から3年と少し。
これまで「Demo Series」と題して単発で楽曲を公開してきましたが、ついに2021年12月にソロとして初のフルアルバム『日記を燃やして』をリリース。
そのオープニングを飾るリード曲がこの『ワンオブゼム』です。
彼女はこれまで少なく見積もってもアルバム2枚出せば必ず1曲は大名曲=一般的な作曲家なら「生涯最大の一発」ぐらいのやつ、を発表してきました。(無論、それ以外に山ほどの名曲も)
そしてこのたび最新の大名曲が届けられました。
まずは何も考えずにただこの曲を聴いてください。
美しくてエバーグリーンで、実に橋本絵莉子。
力強いリフ。
個人的にはくるりの『ロックンロール』を思い出しました。それをこれまたくるりの『How To Go』のテンポで弾いているような。
力の抜けた印象の抑えたAフレ。似ているというわけではないんですがなぜか『コンビニエンスハネムーン』を連想しました。
階段状のブリッジから、とてつもなく抜けのいいサビへ。
どこまでも続く空のような開放感。
そこに載る詞が
目から水がこぼれるのは/あなたのことを思い出したから
乾いた雑巾を絞る/指先からまだ流れる驚き
この言葉がえっちゃんの、あの声で響き渡るときの恍惚。
彼女がどういう想いで書いた言葉かはわからないけれど、私にはこんな風に受け取れました。
やっぱりコロナによって失われてしまった2年間があって
ずっと行けない場所があって
ずっと会えない人がいて
なんだか何もできないまま時だけ過ぎて歳を取ってしまったような
心がカスカスに乾いてしまったような気にもなるけど
それでもまだ自分の心の中には柔らかい部分があって
それはやがて来る日を、もう一度あなたと会える日を待っている
だから私たちは何も失ってなどいない。
耳にも 手にも/見えないものが溢れる
リフレインされるメロディ、言葉、歌声。
その全てが美しい。
凄い昔に小沢健二がこんなことを書いていたのをふと思い出します。
このCDを買った中で最も忙しい人でも、どうか13分半だけ時間をつくってくれて、歌詞カードを見ながら『天使たちのシーン』を聴いてくれますように
(引用元:小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』ライナーノーツ)
それを何のてらいもなく丸パクりして言いたい。
本当に忙しい人でも、どうか4分15秒だけ時間をつくって『ワンオブゼム』を聴いてくれますように。(もし13分半つくれるなら3回ループしてくれますように)
多くの人の元にこの楽曲そしてアルバムが届いて、橋本絵莉子という特別な才能がこの先も音楽を届けてくれることを心から願っています。
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日記を燃やして/橋本絵莉子
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最後にとても蛇足ですがMVについても触れておきます。
空と、海と、えっちゃんの笑顔。
上で書いた「どこまでも続く開放感」そのものの映像なのですが、かつてないくらい彼女のアップがメインで構成され「えっちゃんカワイイ」な姿が満載です。
これはたぶん、わざと。
ずっと待っていてくれたファンへのサービス。
それと同時に、そういうコマーシャルな部分も自然に受け入れられるようになったのでしょう。デビュー当初のえっちゃんはそのルックスを前面に出すことに反発していたと記憶していますので、そこから考えると隔世の感があります。
「それで喜んでくれる人がいるなら」とサラッと笑顔を見せるえっちゃん。
素敵な大人になったんだな。
下はご本人の公式noteでの『ワンオブゼム』に関する記事です。
MVを撮影された「horikita aki」さんとの素敵なエピソードが書かれていますので必見です。(特に盲腸のくだり笑)