ロスジェネはえてしてこだわりすぎる

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タオル補正
2023年2月18日、公式ブログで鈴木絢音さんが卒業を発表しました。

2期生最後のひとり。

まずは彼女の歩みを振り返りましょう。

ゆっくりと咲いた花


秋田県出身。
「秋田の星」である生駒里奈の存在を通してグループを知り、2013年3月に2期生として乃木坂46に加入。
5月に『16人のプリンシパル deux』と『乃木坂って、どこ?』でお披露目。

当時の印象はやっぱり「こけしちゃん」。(すみません)
髪型も切れ長の目も化粧っ気のなさもその立ち居振る舞いもすべてが「田舎の純朴な女の子」という感じでした。

2期生の中で正規メンバーに昇格するのが最後だった、いわゆる「ボーダー組」のひとり。
昇格発表は加入から2年近くが経過した2015年2月、極寒の西武ドームでのことでした。

ちなみにずっと秋田から通いで活動していましたが、その年の5月に上京します。

なかなか注目を集める機会はありませんでしたが、加入から3年経過した2016年あたりから徐々に冠番組でも活躍し始めます。

2016年6月放送の『乃木坂工事中』。
メンバーのお父さんにインタビューという父の日企画で「娘の結婚相手に望むことは?」という問いに絢音ちゃんのお父さんは「お金」。

全力の仏頂面をする彼女。
設楽さんの「好きな人ができたらちゃんと聞ける?」という振りに弱々しい笑みを浮かべ「お金ありますか?」

同年11月、同じく『工事中』での「乃木坂イチのクールガール、鈴木絢音を笑わせろ」という企画では全面的にフィーチャーされ、彼女の独自の感性が明かされました。

さらにその翌日の『NOGIBINGO!』では伝説の「ささきとすずき」。
両冠番組で同時に「主役椅子」に座るという恐らく卒業企画を除けば乃木坂史上でも唯一であろう(調べてません)快挙を成し遂げます。

この時は短距離走タイム測定で、「位置について」の直立不動からシュバッと「用意」のポーズに入るのが面白かった。
以前も書きましたが、この時はまだ佐々木琴子の方が積極性がありました。
絢音ちゃんは笑ってしまうぐらいのサービス精神のなさ。当時「面白いけど、やる気がないって非難する人もいるだろうな」と思いました。(今改めて観直しても同じ感想でした)

今にして思いますが2016年末ということは3期生加入直後。
後輩のお披露目前に2期生の中でも前に出る機会の少なかった彼女にチャンスを与えたのではないでしょうか。

17thアンダー曲『風船は生きている』で自身初のフロント。
この時は「将来美人さんになるんだろうな感」は満載だけど、まだまだ地味で素朴な印象でした。

そのビジュアルが洗練されたのは2017年秋のアンダラ九州シリーズ(『アンダー』の時です)の頃からでしょうか。

そして翌2018年1月発売のアンダーアルバム『僕だけの君』に収録された『自惚れビーチ』で初めてセンターを務めます。
続く20thシングル『シンクロニシティ』のアンダー曲『新しい世界』でもセンターとなり、アンダラ中部シリーズの座長に。

その勢いのまま、21stシングル『ジコチューで行こう!』で遂に初選抜。
この時すでに加入から5年3ヶ月が経過していました。

そして迎えた2018年7月の6thバスラ、通称「シンクロニシティライブ」。
ここで彼女の乃木坂人生におけるひとつのハイライトが訪れます。

神宮球場と秩父宮ラグビー場で同時開催された画期的な、というか無茶苦茶なこのライブ。
だってメンバーの半分は反対の会場でパフォーマンスしてるんですよ。

基本「選抜」と「アンダー」に分かれて、会場を移動して入れ替わりながら行なわれたのですが、ここでアンダー側の座長だったのが最新アンダー曲のセンターだった鈴木絢音でした。

これ何が凄いって、選抜側のセンターが白石麻衣なんですよ。

まいやんと「同格」ではもちろんないです。ただ「並列」の状態で成立させたのは素晴らしい。オープニングのVでもそのふたりが並んで映し出され会場のファンがどよめきました。
この時期の絢音ちゃんが完成の域に達し、そのビジュアルに「説得力があった」からこその演出でした。

そして3DAYSの初日、「聖地」神宮のオープニングを任されたのはアンダーメンバー。
曲は絢音ちゃんの代名詞である『自惚れビーチ』でした。

しかし、この先の道のりも平らかなものではありませんでした。

22nd『帰り道は遠回りしたくなる』では選抜から外れます。
23rd『Sing Out!』で復帰するものの24thで再びアンダーに。

超選抜の厚い壁に跳ね返され、三番目の風と4番目の光の勢いに飲み込まれそうになりながらも歩み続けた彼女。

27th『君に𠮟られた』で2年3ヶ月ぶりに選抜復帰するとそこから4作連続の選抜入り。最終シングルとなった『ここにはないもの』では初めて福神にもなりました。

『ゆっくりと咲く花』を地で行くような乃木坂人生でした。


同期の中で最後までグループに残り、ほぼすべての先輩を見送った絢音ちゃん。

思い出すのが舞台『墓場、女子高生』のラストシーン

彼女が演じるジモは最後にたったひとり舞台に残り。
遠くに行ってしまったヒノチ(伊藤万理華)の声を風の中に聴くのです。

何年もの時を経て、現実と作品がリンクする。古参の醍醐味ですね笑


行間が生む魅力


加入からちょうど10年。

それだけの期間グループにいたのに、彼女はずっとミステリアスな雰囲気を纏っていました。

冠番組などで見せる姿と普段の姿が違うというのは2期生メンバーからの証言でもわかります。ただ普段の「明るくて口数が多い絢音ちゃん」というのが一体どういう状態なのかどうにも想像がつきません笑

そしてずっと疑問だったのが、本人が素の自分を見せたいのか見せたくないのか。

この記事を書くにあたり調べてみたところ、『君に𠮟られた』の時のインタビューで彼女自身がこう答えていました。

 本当はかっこいい自分や、良い自分だけを見せていきたいのですが、私は器用な人間じゃなかったんです。でも、かっこ悪い自分を見せたくないという気持ちを取り払ったら、楽しんで活動できるようになりました

 元々アイドルが好きいろいろなアイドルを見てきたこともあって「こういうアイドルさんになりたい」「こういうパフォーマンスがしたい」など自分の理想の姿を明確にしすぎてしまったのかもしれない

 夢をかなえる秘訣は「素の自分を愛すこと」です

「キラキラな笑顔」のいわゆる王道アイドルに憧れ、そうありたいと思いながらもカメラの前ではうまく笑えなかった。そんな自分をふがいなく思っていたけれど、時と共に愛せるようになった。

そう語っているのです。

「素の自分」「目指す自分」「カメラに映る自分」

大なり小なりどのメンバーもそのギャップを抱えているでしょう。

しかし鈴木絢音のそれはとりわけ大きく、そのギャップによって生まれた「行間」をファンは「ミステリアス」と感じた。

そして、そこにこそ彼女の魅力はあったのです。

不器用な自分を不器用なままでそこに在る姿は、もしかしたらアイドルとしては未熟なのかもしれません。
でもそんな彼女が10年も在籍できて、その魅力を届けることができたのはやっぱり乃木坂ならではだったのだと思います。


最後にこれからの彼女について。

卒業後の予定は「全く決まっていません」とのこと。
でも在籍中から様々な舞台やドラマに出演してきたので、きっと演技の道に進むのでしょう。

そんな彼女にしか出せない空気を活かせる役柄に巡り合えることを願っています。

鈴木絢音さん、10年間お疲れさまでした。



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前の記事で書いた通り、秋元真夏の復帰は衝撃を与え強い反発をもたらしました。

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ゲームチェンジャー


真夏さん復帰まで、乃木坂において握手対応はあまり重視されていませんでした。

いや、これは言い過ぎですね。
初期の一番人気は「剥がしに抵抗してファンの手を離さない」松村沙友理でしたし、西野七瀬の成り上がりも握手対応の良さが大きな要因でしたから。

でもAKB48に対するカウンターというグループの成り立ちゆえか「媚びない」ことを是とするファンも一定数いました。
極論を言えば「乃木坂のビジュアルがあればファンに媚びる必要なんかない」と。

しかし真夏さんは「釣り師」と呼ばれるその抜群の対応で瞬く間に握手人気を上げていきます。

5th『君の名は希望』の個別握手会では既に白石麻衣、橋本奈々未、松村沙友理の御三家と西野七瀬、生田絵梨花そして深川麻衣に次ぐ7番手の位置につけます。
続く6th『ガールズルール』では御三家となーちゃんの30/30部フル完売に続く28/28を達成。ちなみにこれ以降すべてのシングル個握でフル完売を続け、21stから免除となりました。

最初期から絶対的な存在である御三家と「ピープルズチャンプ」西野七瀬を脅かす存在にまでなったのです。

その躍進は周囲のメンバーにも大きな影響を及ぼしたのでしょう、真夏さんの加入以降に明らかに他のメンバーの握手対応も良くなったと言われています。(いわゆる「真夏ショック」です)

これにより握手人気の二極化が進みます。

真夏ショックに対応できたメンバー(例えば桜井玲香、深川麻衣、若月佑美)は6th『ガールズルール』から一気に多部数でフル完売に近い数字に伸ばしてきます。少し遅れて衛藤美彩もこれに続きました。
逆に対応できなかった=釣り対応を苦手としたメンバーの握手人気は伸び悩みます。
最も顕著な例は市來玲奈でしょうか。彼女以外にも若手メンバーのほとんどが苦戦を強いられます。

6thから10thあたりは上10人(さきに名前を挙げた9人+生田絵梨花)は30部フル完売。それ以外のメンバーは一桁完売という感じでした。

この結果として生じたのは、いわゆる「運営序列」を決める要素の変化。
あまりにはっきりした差が出たため、握手人気を無視しきれなくなったのです。
初期からいわゆる「運営推し」と目されていたメンバーの何人かがこの時期にアンダーを経験することになります。
(余談ですが次にフル完売メンバーとなるのはアンダラ2ndシーズンの大ブレイクを受けての齋藤飛鳥でした)

つまり秋元真夏がグループ内の握手対応を底上げし、それを一因として「握手人気重視」という傾向が生まれた。そしてそれは現在に至るまで続いている

真夏さんはゲームチェンジャーだったのです。

長い目で見れば、これがグループにもたらした影響は非常に大きかった。

そりゃ「媚びる必要なんかない」と思っていた人だって、目の前で実際に媚びて…いや愛想良く接してくれたら嬉しくないわけがありません。

握手会商法の是非や個人的な好悪はともかく、乃木坂が現在の大きさにまで発展した要因のひとつとしてこの「こんなに綺麗な子がこんなに愛想よく接してくれる!」という驚きがあるのは否定できないでしょう。

すなわち真夏さんはゲームチェンジャーであったと同時に、グループが大きくなるための重要なターニングポイントともなったのです。

だいぶ前からほとんど使われなくなりましたが「握手特化型」という言葉があります。

歌も踊りも苦手でビジュアルも目を引く美人というタイプではない(失礼)彼女はこれに該当するでしょう。

個人的にこの言葉から受けるイメージは「計算高い野心家」。
まあこれは裏返せばクレバーでセルフプロデュースが上手いということなんでしょうけれど。

しかし真夏さんはこのイメージから少し外れていました。

賢いし、目立ちたがりなのは間違いない。
そんな他推しのファンからすると非常に厄介な存在なのですが笑、どこか憎めない。

それは彼女の溢れる愛嬌、そしてその源となる人柄によるものであることが次第に明らかになります。

個人的に印象に残っているのが映画『超能力研究部の3人』のメイキングで、怒る演技ができないため共演者からアイドルとしての彼女を全否定する挑発的な言葉を投げかけられる(という仕込み)も一切言い返さないで我慢してしまう姿。

後にメンバーから「何をしても怒らない」と言われた彼女の人柄が垣間見えます。

そして真夏さんが完全に馴染んだのが見て取れたのが2014年4月『乃木坂って、どこ?』での「秋元腹黒い裁判」。

普段からメンバーとスタッフさんしかいない現場でも肌を見せる格好をしている真夏さん。
樋口日奈が「普段から周りの目を引こうとしてるのかな?」と疑問を差し挟むと彼女はこう答えます。

「逆に…なんで気を引いちゃいけないのかな、って」

「いいぞ!」と喝采を送るバナナマンのふたり。

黒石さんが初めて発動したのはこの時です。

この時点ではもう完全に真夏さんが受け入れられていて、いじりとして成立しているのが明確にファンに伝わる内容でした。

ちなみに、この少し前に例の「真夏、おかえり」があり西野七瀬とのわだかまりも解消しています。


8年後からの第2章


冠番組では「あざとぶりっ子」と「頭がデカい」というたったふたつの武器で大活躍でした。

困った時の真夏さんという感じで正直食傷気味…というか私は完全に食傷していましたが笑、大いに貢献してくれました。(これは2代目いじられスター新内眞衣が登場するまで続きます)

既に述べたように瞬く間にトップ層に迫る人気を得た真夏さん。

しかし、立ち位置としては基本2列目でした。

ざっと並べると、

4th5th 福神
6th~8th 3列目
9th~31st 福神

例外は17th『インフルエンサー』が初のフロント(左端)。
19th『いつかできるから今日できる』は3列目。ただこれは『あさひなぐ』出演メンバー優先のフォーメーションだったからですね。
24th『夜明けまで強がらなくてもいい』も3列目。
そして29th『Actually…』は中西アルノの保護者としてフロント。こちらは右端。

ベストグリッドはフロント端2回
結成日の「センター横」というポジションに再び立つことはありませんでした。

バイプレイヤーと呼ぶには存在感が大きすぎる。不動のレギュラー。
だけど、エース級ではない。
『キャプテン翼』でいえば「石崎くん」というところでしょうか。

写真集も結構売れてるけどめちゃめちゃ売れているというほどでもない、なんというか2列目として妥当な売れ行き。

個人的にライブでは「人気の割に抜かれない」印象もありました。


そんな「実に2列目」な活躍を続けていた真夏さん。

しかし2019年、彼女の乃木坂人生を大きく変える出来事が起きます。

2代目キャプテンに就任

ここから彼女の第2章が始まります。

卒コンで本人の口からも語られましたが、当時多くのファンも桜井玲香より年上である真夏さんがキャプテンになることに違和感を感じていました。

明らかなショートリリーフ。(当時は29歳までグループにいてくれるとは思っていませんでした)
であればどう見ても未来のキャプテンである梅澤美波にこのタイミングで引き継いでしまった方が良いのでは、と。

でも今にして思います。
あそこは真夏さんしかなかった

もしあの時点で梅ちゃんがキャプテンになっていたら。
1期2期の卒業ラッシュでそのたびにライブを締めるコメントをしなければならなかったら。
さすがの梅澤美波でも苦しかったのではないでしょうか。

誰かが卒業するたびに全力で悲しんで心から溢れる惜別の言葉を贈る

これはやはり1期生である真夏さんならではのことでした。

キャプテン就任後、保護者として後輩メンバーとTV出演したり歌番組でコメントを求められる機会が増えます。

「出しゃばり」「桜井はそんなに前に出てこなかった」「キャプテンなんだから他のメンバーを立てるのが役目だろ」

そんな批判の声もありましたし、正直私も「ずいぶん出てくるなあ」ぐらいは思っていました。

ただ1期生へのリスペクトが強い3期生は当時まだ遠慮が見えたし、4期生はよちよち歩きでした。
そんな後輩たちに外番組の場数を踏ませるにあたり、真夏さんのサポートは必要だったのでしょう。


就任した時に「3年は頑張ろう」と決意したそうです。

その通り、3年半に渡ってキャプテンを務めました。

その間に卒業したメンバーは実に19人。
そして新4期生と5期生の加入。

どんどん減っていく盟友たちを見送り、後輩たちを励まし、新人たちを暖かく迎え
変わりゆくグループを支え続けました。

まして、コロナ。

乃木坂が一番難しいこの時期を越えて今なお女性アイドルグループとしてトップに君臨しているのは、秋元真夏の働きを抜きにしては語れないでしょう。

きっと苦しいことも多かったと思います。

しかしキャプテンとしてのこの3年半は彼女自身のキャリアにとっても非常に大きなプラスになったのも間違いありません。

真夏さんの人柄の良さとコメントの確かさが一層磨かれ、それが多くの人の目に明らかになったのはキャプテン就任以降のことです。

最後に今後の彼女について。

まあ言うまでもなく「タレント」ですね。

歌もダンスも演技も得意じゃないけれど、愛想が良く気配りもできて頭の回転が速い。

グループを支えてきたそのストロングポイントを活かして活躍されることを願っています。

秋元真夏さん、約11年本当にお疲れさまでした。


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2023年1月7日、公式ブログで秋元真夏さんが卒業を発表しました。

まずは彼女の歩みを振り返りましょう。

理解不能


2011年8月21日、すなわち乃木坂46結成日。

その日に暫定選抜メンバーのフロント(センターの隣)として写真に写っていた彼女ですが「学業都合」によりそのまま活動を休止します。

次に我々の前に現れたのは1年と少し後、2012年10月に放送された『乃木坂って、どこ?』。

その日は4thシングルの選抜発表でした。
まず行なわれた、それまでの「七福神」が「八福神」になるという説明にざわつくメンバーたち。

そして最初に発表された3列目の端は、高山一実。

衝撃が走ります。

乃木坂46が見た最初の地獄『16人のプリンシパル』。
そこで「覇王」生田絵梨花に次ぐ結果を残したかずみんが3列目の端。
つまり、あのもがき苦しんだ日々が何らポジションに反映されていない

そう感じたメンバーが多かったといいます。

発表は続きます。
なぜか後ろから前にではなく、3列目、フロント、そして最後に2列目を発表するという違和感のある流れ。

フロントは生駒里奈、生田絵梨花、星野みなみの「生生星」。
そして2列目はキャプテン桜井玲香に白石麻衣、橋本奈々未、松村沙友理の御三家が並びます。

残すは2列目一番右。そして福神最後のひとり。

可能性の高そうなメンバー、特に中田花奈が繰り返しカメラに抜かれる中で読み上げられた名前は。

 秋元真夏

「は?」
メンバーの間に声にならないその叫びが響きます。

理解不能

次にカメラが抜いたのは、番組収録を見学していた私服姿の真夏さんでした。
その時から既にノースリーブでミニのワンピースというのがさすがというか笑

レッスンにはこれ以前から参加していたのでメンバーたちにとって「見知らぬ人」ではありません。

でも結成から1年以上休業しデビュー当初の厳しい状況も知らず、プリンシパルという地獄も味わっていない彼女が、いきなり福神?

選抜もアンダーも、誰もがこわばった表情のままでした。

わざわざ「八福神」などというポジションを用意し、発表の順番を最後に回してまで祭り上げる。
初期の運営が何度も繰り返した悪しき習慣、AKB的な残酷ショー。

そのダシに使われた中田花奈は収録後に泣き叫び、あおりを食って福神から外れた西野七瀬はスタッフに「大阪に帰ります」と告げたそうです。
この時に生まれたなーちゃんとの確執は2014年2月の2ndバスラでの「真夏、おかえり」まで1年4ヶ月も引きずることになるのです。

さらにそのすぐ後の『乃木どこ』。
真夏さんをフィーチャーするために行なわれたのはなんと真夏vs選抜全員、1対15の対決企画でした。

これも今にして思うととんでもない企画ですね。

もちろん「茶番」であり「台本ありのバラエティ」。

松村沙友理「日村さんのいいところ山手線ゲーム」、井上小百合「わんこうどん早食い」、生駒里奈「水中息止め」と敢えて自分の苦手なことを対決にして「いやそれお前勝つ気ないだろ!」と設楽さんに突っ込まれます。

最終対決で生駒ちゃんが1秒で顔を上げ「苦しかった…」。
真夏さんが8勝7敗で勝利。

それでも、画面から終始伝わってくるのは隠し切れないピリピリしたムードでした。

西野七瀬とはこの時「手押し相撲」で対決したのですが、至近距離で押し合いをしながら一度もふたりの視線は交わらなかったそうです。


完璧な答え


今にして思えば、秋元真夏は乃木坂のメンバーとファンが初めて経験する「異物」だったのです。

もちろんファンは猛反発しました。

真夏さんが凄いのはここからです。

選抜発表の放送直後(なんと0時28分!)に初のブログ更新を行い「今日から復帰することになりました」「がんばります」とコメントしていた彼女。

しかし放送を観たファンからの猛烈な拒否反応を目にし、その翌日に再びブログをアップするのです。

その内容がこちら。


 発表から1日

 4thシングルの選抜メンバーの発表から1日が経ち、いろんな方の気持ちや意見もたくさんたくさん伝わってきました。

 また改めて、いきなりこのポジションに立たせていただいていることがあらゆる人に迷惑をかけてしまったり悲しませてしまっているんだということもわかりました。

 じゃあこの場にいる私はどうするべきなのか?と何回も何回も真剣に考えました。

 私なんかがいつまでもクヨクヨしてる場合じゃないんです。

 今はチャンスを与えていただいた。

 だからメンバーや、メンバーのことを応援してくださっている方々の色々な気持ちを背負って、今の状況に決して甘えないで一生懸命全力で進んで行かなきゃいけないんです。

 もらったチャンスは、チャンスのままにしておいちゃいけないと思うんです。

 いただいたチャンスの中で一生懸命努力して、いつか自分の持っている力と結びついたとき、そのときがみなさんに認めていただける時なんじゃないかなと感じています。

 なので今は賛否両論すべてを受け止めて、一歩一歩前に進みながら一生懸命取り組んでいこうと思います。

 最後にたくさんのコメントをくださった方々、ありがとうございました(/ _ ; )

 応援してる!とかこれから頑張ってね!って言ってもらえたことがすごく嬉しくて元気がでました。

 これから私は乃木坂46で頑張って行きます。

(引用元:「あれから1日」乃木坂46秋元真夏公式ブログ 2012.10.09)

いや正直今回この記事を書くにあたって初めてこのブログを読んだんですよ。(私も当時真夏さんの抜擢に反発を覚えていたのでブログをチェックしていなかった)

衝撃ですね。

わずか1日でこれを書ける。

その後に「異物」となってしまった堀未央奈中西アルノはもとより、現在に至るまで数多くの乃木坂メンバーが苦しんできた「抜擢」「初選抜」「初センター」というポジションの重み。「私なんかがここにいていいのか」という問いかけ。

それに対する完璧な答えがここにあります。(「賛否両論すべてを受け止め」る必要はないと思いますけど)

「チャンスを活かすことこそがチャンスを与えられた者の使命であり、それこそが与えた者たち(=運営)と与えられなかった者たち(=メンバー)に対する礼儀である」

このグループアイドルにおける真理-ただわかってはいてもなかなかそう発言するのも実践するのも難しい-に彼女はこの時点で到達しているのです。

もの凄い。空恐ろしいと言ってもいいくらい。

いわゆる「メンタルの強さ」とは異質なもののように思います。

むしろ自分自身を理屈で納得させて無理矢理にでも前に進ませる力というか。

この「クレバーさ」と「我慢強さ」が合わさった結果である、一種の「自己実現力」。

この彼女の最大の武器が、期せずしてアイドル人生の第一歩で花開くことになったのです。


まだ復帰までしか書けていないのですが笑、長くなりましたので続きます。

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前の記事では齋藤飛鳥の乃木坂人生を振り返りました。

関連記事:


乃木坂のすべてを知る者


星野みなみと齋藤飛鳥。

このふたりは最初期からよく比較されてきました。

そしてふたりを語る際によく用いられたのが「エリート」のみなみちゃんと「雑草」の飛鳥という対比。

しかしこの構図は明らかに運営が「意図して作り上げた」ものでした。

運営が当初から飛鳥のポテンシャルに高い期待を寄せていたことに疑問の余地はありません。
なにせあの「奇跡の軍団」乃木坂46の1期生の中で、デビューシングルの選抜16人に選ばれたのですから。

結成時に中学生だったメンバー8人(※)の中で1st~6thシングルの間に選抜入りしたのは生田絵梨花、星野みなみのフロントふたりを除けば飛鳥ただひとりでした。
(率直に言ってしまえばそれ以外の5人は「思い出選抜」での初選抜だったのです)
※生田絵梨花、斎藤ちはる、中元日芽香(96年組)、川後陽菜、樋口日奈、星野みなみ(97年組)、齋藤飛鳥、和田まあや(98年組)

とはいえデビュー曲から「生生星」の一角としてフロントを任されたみなみちゃんと3列目だった飛鳥の間には明確な差がありました。

その時点での完成度やタレント性でも先を行っていた印象がありますし、そもそも年齢がひとつ上ですのでこれは妥当な判断でしょう。

運営はこのふたりがライバルとしてフロントで並び立つ未来がいつか訪れればそれが最高だと思っていた節があります。

「いつか」。
例えば御三家(白石麻衣、橋本奈々未、松村沙友理)が全員卒業した頃に。
それはきっと、2016年か遅くとも2017年には訪れる想定だったのでしょう。

こうして並び立つライバルではなく追いかけるべき目標として「星野みなみ」を設定され、年少組の(生田、星野に次ぐ)離れた3番手として活動をスタートした飛鳥。

1stに続き4thシングル『制服のマネキン』、7th『バレッタ』で選抜入りします。
余談ですが1st、4th、7thで選抜だったので3作品ごとに飛鳥選抜説=10thも選抜では?なんていう噂が流れたこともありました。

さらに3rdシングル収録の年少組ユニット曲『海流の島よ』ではセンター。
6thシングルアンダー曲『扇風機』でもセンター。
ちなみにアンダーセンターはその1回でしたが基本フロント。例外は2nd『狼に口笛を』のみ(この時は3列目)。

こうしてみると活動初期において「最も出入りの激しいメンバー」でした。
もちろん既に述べたようにそれは運営の大きな期待の裏返しだったのでしょうが、年端もゆかぬ彼女にとってそれは想像も及ばないほど苦しい日々だったことでしょう。

10thシングル『何度目の青空か?』までの期間。

それは齋藤飛鳥、雌伏の時。

そこで彼女はありとあらゆる経験をします。

右も左も分からぬまま活動していたデビュー当時の選抜
TVで何度も司会者に「乃木坂48」と紹介されたことも。
デビュー曲『ぐるぐるカーテン』のヒット祈願である駅前でのティッシュ配りも。

本当に全く仕事がなかった初期のアンダー
『走れ!Bicycle』を全握で初披露した時に、選抜メンバーがスタンバイするのを隠すための幕をアンダーメンバーが持たされるという屈辱の記憶も。

アンダーライブ
その立ち上げから激動の2ndシーズンまで(つまり「一番キツいとこ」です)立ち会ったのも本当に大きかった。

グループ立ち上げ時に受けた様々な屈辱と、お姉さんメンバーたちがそこで歯を食いしばって頑張ったこと。
2期生たちの不安や混乱。
アンダーの絶望と不屈。

そのすべてを実際に経験し目撃してきた飛鳥。

この「叩き上げ感」こそ彼女に対するファンからの絶大な信頼の基盤です。

飛鳥ちゃんは全部わかってる、という。

結成当初からのメンバーであり、過去31作すべてのシングルに参加。
その中でアンダー、選抜3列目、2列目、フロント、センターとあらゆるポジションを経験した齋藤飛鳥。
ちなみにアンダー経験後に表題曲のセンターになったのは深川麻衣と齋藤飛鳥のふたりだけです。

彼女は文字通り「乃木坂のすべてを知る者」でした。



The miracle of miracles


結成当初から見てきた古参オタとして言わせてください。

乃木坂46はいくつもの奇跡が折り重なってできあがった奇跡のようなグループです。

あれほどの美貌を持った白石麻衣が加入したこと

アイドルとは無縁に見える橋本奈々未が加入したこと(しかも「ロケ弁で飢えをしのげる」という今考えても少々意味不明な理由で!)。
そしてそのクールなイメージからは想像もつかないほど熱い想いをもってグループを愛してくれたこと。


その3人がそれぞれ全く違う個性で、負けず劣らず魅力的だったこと。
にもかかわらず3人がお互いをリスペクトし仲良しだったこと。

そして彼女が常軌を逸した努力の天才であったこと。
その超人的な頑張りと、外仕事による不在を埋められるグループの層の厚さにより自身の夢を追いながらもグループに長く在籍できた(してくれた)こと。

御三家と生ちゃんだけでも十分に奇跡でした。

でも。

乃木坂最大の奇跡はやっぱり齋藤飛鳥だと思うんですよ。

彼女が我々の想像を遥かに超えて美しく成長したこと。
中二病全開だったのに、こんなにも優しく気遣える人になったこと。
11年以上にわたり4つも下の代が加入するまでグループに留まり、その背中を後輩に見せてくれたこと。

何より、こんなにもグループを愛してくれたこと。

最年少が「やさぐれ」も「やらかし」もせず、勘違いにも甘ったれにもならず。
大エースへと成長し、かつグループを愛し長くそこに留まってくれた。
そして最年少だからこそ、オリジンのスピリットを継承することができた。

こんな理想的なことありますか

全部が全部、奇跡としか言いようがない。

これもちょっと蛇足ですが、彼女がブレイクしたのも最高のタイミングでした。

『裸足でSummer』がリリースされた当時、駅のホームで電車を待っていたら周りにいた男子高校生たちが「飛鳥ちゃん、めっちゃ可愛いよな!」と盛り上がっていたのを憶えています。

2016年ですから白石麻衣ら御三家が24歳、西野七瀬ら94年組で22歳の年。
彼女たちが中高生からするとだいぶお姉さんになっていた頃です。

しかもその年の4月には欅坂46がデビュー。
『サイレントマジョリティー』のMVが強烈なインパクトを与えます。そのインパクトとフレッシュさで一気に中高生からの支持を獲得しているまさにその最中でした。

あまり語られていませんが、このタイミングで学生の年齢層に対して齋藤飛鳥が訴求できたのは乃木坂にとってめちゃめちゃ大きかった。欅坂の勢いに飲み込まれず、三番目の風が吹くのを待つことができたのは彼女の功績でしょう。


私が(勝手に)齋藤飛鳥の本質に近いと思っている言葉がふたつあります。

いつのことだったか思い出せないのですが、同期に対する想いとして語ったもの。

 とにかく幸せであってくれ

もうひとつは、5期生募集CMの中で。

 人の事を想ったら、
 自分を好きになれるなんて
 知りませんでした。

この言葉が飛鳥ちゃん発信かどうかは知りませんが、その歩みをずっと見てきたファンとしては彼女自身からのものに聞こえます。

お姉さんたちに愛された飛鳥がいつしか周囲を大きな愛で包むようになった。

そんな年月の重さを感じさせるふたつの言葉です。


最後に、これからの彼女について。

CMではちょこちょこ見るけどTVにはあまり出てこない、「生活の匂いがしない」タイプのタレントさんになってくれたら嬉しいです。

でも、まずはゆっくり休んでほしいですね。

齋藤飛鳥さん、11年以上にわたり本当にお疲れさまでした。

note上で乃木坂46に関する有料記事を公開しています。どちらも無料で読める部分がありますのでぜひご覧ください。

『アンダラ伝説』¥300
伝説のアンダーライブ2ndシーズンを題材にしたセミドキュメンタリー小説。あの頃の熱量を叩き込んだ渾身の50,000文字です。
 

マガジン「2019年の乃木坂46」¥200
過去に当ブログに掲載した記事を再構成し加筆したもの。総文字数10万文字、加筆部分だけでも22,000文字以上のボリュームでブログをご覧になった方にも楽しんでいただけることと思います。



タオル補正
2022年11月4日、公式ブログで齋藤飛鳥さんが卒業を発表しました。

もう何度目かはわかりませんが、それでもやはり「来るべき時が来た」と思いました。

まずはその足跡を振り返ります。

2011-2014


1998年8月生まれの1期生最年少。同学年は和田まあや。

当初の印象は「幼女」。

川後陽菜につけられたあだ名が「ロリ手羽先」でしたが、まさにそんな感じ。
応援するのもはばかれるぐらい幼かったので、個人的には正直まったく興味がありませんでした笑

そんな中でも強く記憶に残っているのが2012年9月に行なわれた最初の『16人のプリンシパル』。

私が行った日の投票で彼女は5位と大健闘したのですが、その時の自己PRが秀逸でした。

細かい言い回しは憶えていませんが「私は一番小顔で一番若くて未来しかない!」みたいな内容を、お姉さん組への若干の毒を交えながら満面の笑みで語っていました笑

当時「中学2年生があんな台本思いつくはずがない!背後に優秀なブレーンがいるに違いない!」と驚愕したのを憶えています。

まあ後に飛鳥の得意技となる「笑顔で毒舌」の原型ですから、本人発信だったんでしょう。

あとはその少し後ぐらいに『乃木坂って、どこ?』のハロウィン仮装企画では幼稚園児のコスプレ。「セクシーな一言」というお題に対して「たまごボーロ」も強烈でしたね。

私が次に彼女の存在を強く意識したのは約2年後、アンダーライブ2ndシーズンでのこと。

既に1stシーズンで会場人気が爆発しており彼女の覚醒はアンダーファンの間では周知の事実だったようですが、個人的に飛鳥の評価が爆発的に上がったのはここでした。

10thアンダー曲『あの日 僕は咄嗟に嘘をついた』でセンター井上小百合の両サイドを伊藤万理華と共に固めた飛鳥。
お顔も声も可愛くて、しかも踊れるこの3人のフロントは超強力。

しかし。
ご存知の方も多いでしょうが、アンダラ2ndシーズンは想像を遥かに超える過酷な日々でした。

(この伝説の日々を題材にした小説をnoteで公開しています。
有料記事ですが全14話中の第4話までは無料で読めますので、よろしければこちらもどうぞ)


15日18公演という超ハードスケジュールに離脱者が続出。
ついにセンター井上小百合までが故障で欠場を発表。
それと時を同じくして件のスキャンダルが報道されます。

当時高校1年生だった彼女にとって、あの壮絶な毎日は到底受け止め切れるものではなかったでしょう。

2ndシーズンの期間中や有明でのファイナルが発表された全国握手会、そしてその有明でのアンコール。顔を真っ赤にしてぐちゃぐちゃに泣き崩れる彼女の姿を何度も見ました

まだ幼さを残したその顔で、それでもグループを守りたいと懸命に足掻く姿は心を打つものでした。

ちなみにかの有名な「どうせお前らクリスマス過ごす相手いねえだろ?」(文字にすると激辛ですが最高に愛らしい敬礼ポーズつきです)が発せられたのは、2ndシーズンのゴール地点であるこの年末の有明コロシアムでのことです。

そういえば(凄く蛇足なのですが)2ndシーズン直前の全国握手会で「井上小百合×齋藤飛鳥×中元日芽香」というアンダラ推し垂涎の超絶レーンが組まれ、西野七瀬や白石麻衣に匹敵するほどの並びになったこともありました。



2015-2022


続く11thシングルで選抜入り。

ちなみにアイドルらしい前髪ぱっつんだった髪型をいわゆる「今野分け」に変えたのもこのタイミングでした。
結果的に…いや今野さんの思惑通りに笑、そのビジュアルが急速に完成されつつあることがファンの目にも明らかになります。

そこからはまさに「ライジングスター」。一気に階段を上っていきます。

『羽根の記憶』MVで鮮烈な美しさを放ち、まさに「未来がここにある」と観る者に思わせ。
同時期の『乃木坂工事中』で「ラジオ体操をしたことがない」ということで音だけを頼りに面白可愛い体操をしてみたり。

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そして彼女の人気を決定的にしたのが2016年2月、同番組の2期生バレンタイン企画

2期生から1期生にバレンタインのプレゼントを贈るのですが、まずは「この子からはもらえるんじゃないか」と思っている1期生が立候補しなければならないという鬼のフォーマット。

そこで主役になったのが飛鳥でした。

開始早々に北野日奈子と伊藤純奈に連続で振られ、涙。
「ちょっと休憩します」と引き下がるも番組後半で相楽伊織に再度挑戦。
しかしここでもあえなく玉砕し「もういいよ」と言い残してまた涙。

その哀愁漂う姿と可愛い泣き顔に多くのファンが心を鷲掴みにされ、大反響を呼びました。

さらに2016年4月『乃木坂工事中』での「齋藤飛鳥・独り立ち計画 初めての○○」。
要するに飛鳥ちゃんのひとりでできるもん企画。「朝ご飯をお母さんに食べさせてもらっている」という衝撃のカミングアウトもありました。

完全に彼女ひとりをフィーチャーしたこの日の放送を観ながら私は「ああこれもうフルスイングで飛鳥ちゃん売り出すのね、うんうんそれ凄くいいと思うよ」と思っていました笑

そして迎えた2016年7月に発売された15thシングル『裸足でSummer』。

満を持して。全箱推し待望の。
齋藤飛鳥、初センター。

そしてそれは紛れもなく、1期2期の世界におけるラストピースがはまった瞬間でもありました。

選抜発表の『乃木坂工事中』では「今いい調子で乃木坂来てるのに私のせいで売れなくなっちゃう」とベソベソ泣いていました。(実際には前作に比べ売り上げは伸びた)

しかしMVでは頭に羽根飾りをつけ土色の海で踊る彼女はまたも我々に鮮烈な美しさを見せつけます。

その年の真夏の全国ツアーでは高校3年生、弱冠18歳にして座長。

ファイナルは4thバスラも兼ねて全曲披露を行なった神宮球場3DAYS。
3日目本編ラスト、乃木坂ライブの名場面と言えば誰もが思い出すあの「じんぐ~う!」です。

こうして2016年の夏は終わり、「最年少愛でられキャラ」だった彼女はいつしか押しも押されもせぬ「乃木坂の主要メンバー」になっていました。

自分を「嫁」と呼んで慕った飛鳥の独り立ちを見届けて安心したかのように、橋本奈々未が卒業を発表したのはこの年の10月のことでした。

そのななみんの卒業シングル、16th『サヨナラの意味』こそ2列目中央に下がりますが、次作『インフルエンサー』以降はすべてフロント。

翌2017年は既に先輩の風格を漂わせはじめ、客前での『逃げ水』初披露となる「お台場みんなの夢大陸」時にはもう与田祐希の首を絞めていました。

同年の舞台『あさひなぐ』でも主演。
18thシングル『いつかできるから今日できる』では映画版主人公を演じた西野七瀬とのWセンター。

2018年の21st『ジコチューで行こう!』そして2019年の23rd『Sing Out!』では単独センター。
西野七瀬卒業シングルである22nd『帰り道は遠回りしたくなる』の前後でセンターを任されたのですから、どこからどう見ても「託された」形です。

なーちゃんの卒業と時を同じくして白石麻衣と生田絵梨花のふたりはどこか一線から退いた「別格」扱いになり、それ以外の1期生福神常連組も自身のゴールを見据えた活動という印象が強くなります。

そんな中で飛鳥はグループの顔としてライブでも常に獅子奮迅の活躍を見せ、CMにも皆勤賞。

そして遠藤さくら、山下美月、賀喜遥香、中西アルノと新センターを支え続けました。

まさに最後の最後まで最前線に立ち続けた飛鳥。

 尊敬に値する

そんな平凡な言葉しか思いつきませんが、本当に見事な11年間でした。


続きます。

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過去に当ブログに掲載した記事を再構成し加筆したもの。総文字数10万文字、加筆部分だけでも22,000文字以上のボリュームでブログをご覧になった方にも楽しんでいただけることと思います。



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