
前の記事では齋藤飛鳥の乃木坂人生を振り返りました。
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乃木坂のすべてを知る者
星野みなみと齋藤飛鳥。
このふたりは最初期からよく比較されてきました。
そしてふたりを語る際によく用いられたのが「エリート」のみなみちゃんと「雑草」の飛鳥という対比。
しかしこの構図は明らかに運営が「意図して作り上げた」ものでした。
運営が当初から飛鳥のポテンシャルに高い期待を寄せていたことに疑問の余地はありません。
なにせあの「奇跡の軍団」乃木坂46の1期生の中で、デビューシングルの選抜16人に選ばれたのですから。
結成時に中学生だったメンバー8人(※)の中で1st~6thシングルの間に選抜入りしたのは生田絵梨花、星野みなみのフロントふたりを除けば飛鳥ただひとりでした。
(率直に言ってしまえばそれ以外の5人は「思い出選抜」での初選抜だったのです)
※生田絵梨花、斎藤ちはる、中元日芽香(96年組)、川後陽菜、樋口日奈、星野みなみ(97年組)、齋藤飛鳥、和田まあや(98年組)
とはいえデビュー曲から「生生星」の一角としてフロントを任されたみなみちゃんと3列目だった飛鳥の間には明確な差がありました。
その時点での完成度やタレント性でも先を行っていた印象がありますし、そもそも年齢がひとつ上ですのでこれは妥当な判断でしょう。
運営はこのふたりがライバルとしてフロントで並び立つ未来がいつか訪れればそれが最高だと思っていた節があります。
「いつか」。
例えば御三家(白石麻衣、橋本奈々未、松村沙友理)が全員卒業した頃に。
それはきっと、2016年か遅くとも2017年には訪れる想定だったのでしょう。
こうして並び立つライバルではなく追いかけるべき目標として「星野みなみ」を設定され、年少組の(生田、星野に次ぐ)離れた3番手として活動をスタートした飛鳥。
1stに続き4thシングル『制服のマネキン』、7th『バレッタ』で選抜入りします。
余談ですが1st、4th、7thで選抜だったので3作品ごとに飛鳥選抜説=10thも選抜では?なんていう噂が流れたこともありました。
さらに3rdシングル収録の年少組ユニット曲『海流の島よ』ではセンター。
6thシングルアンダー曲『扇風機』でもセンター。
ちなみにアンダーセンターはその1回でしたが基本フロント。例外は2nd『狼に口笛を』のみ(この時は3列目)。
こうしてみると活動初期において「最も出入りの激しいメンバー」でした。
もちろん既に述べたようにそれは運営の大きな期待の裏返しだったのでしょうが、年端もゆかぬ彼女にとってそれは想像も及ばないほど苦しい日々だったことでしょう。
10thシングル『何度目の青空か?』までの期間。
それは齋藤飛鳥、雌伏の時。
そこで彼女はありとあらゆる経験をします。
右も左も分からぬまま活動していたデビュー当時の選抜。
TVで何度も司会者に「乃木坂48」と紹介されたことも。
デビュー曲『ぐるぐるカーテン』のヒット祈願である駅前でのティッシュ配りも。
本当に全く仕事がなかった初期のアンダー。
『走れ!Bicycle』を全握で初披露した時に、選抜メンバーがスタンバイするのを隠すための幕をアンダーメンバーが持たされるという屈辱の記憶も。
アンダーライブ。
その立ち上げから激動の2ndシーズンまで(つまり「一番キツいとこ」です)立ち会ったのも本当に大きかった。
グループ立ち上げ時に受けた様々な屈辱と、お姉さんメンバーたちがそこで歯を食いしばって頑張ったこと。
2期生たちの不安や混乱。
アンダーの絶望と不屈。
そのすべてを実際に経験し目撃してきた飛鳥。
この「叩き上げ感」こそ彼女に対するファンからの絶大な信頼の基盤です。
飛鳥ちゃんは全部わかってる、という。
結成当初からのメンバーであり、過去31作すべてのシングルに参加。
その中でアンダー、選抜3列目、2列目、フロント、センターとあらゆるポジションを経験した齋藤飛鳥。
ちなみにアンダー経験後に表題曲のセンターになったのは深川麻衣と齋藤飛鳥のふたりだけです。
彼女は文字通り「乃木坂のすべてを知る者」でした。
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The miracle of miracles
結成当初から見てきた古参オタとして言わせてください。
乃木坂46はいくつもの奇跡が折り重なってできあがった奇跡のようなグループです。
あれほどの美貌を持った白石麻衣が加入したこと。
アイドルとは無縁に見える橋本奈々未が加入したこと(しかも「ロケ弁で飢えをしのげる」という今考えても少々意味不明な理由で!)。
そしてそのクールなイメージからは想像もつかないほど熱い想いをもってグループを愛してくれたこと。
ふたりと同い年に「可愛くて面白くて頭の回転が速い」松村沙友理という天才がいたこと。
その3人がそれぞれ全く違う個性で、負けず劣らず魅力的だったこと。
にもかかわらず3人がお互いをリスペクトし仲良しだったこと。
生田絵梨花という類まれな才能が加入したこと。
そして彼女が常軌を逸した努力の天才であったこと。
その超人的な頑張りと、外仕事による不在を埋められるグループの層の厚さにより自身の夢を追いながらもグループに長く在籍できた(してくれた)こと。
御三家と生ちゃんだけでも十分に奇跡でした。
でも。
乃木坂最大の奇跡はやっぱり齋藤飛鳥だと思うんですよ。
彼女が我々の想像を遥かに超えて美しく成長したこと。
中二病全開だったのに、こんなにも優しく気遣える人になったこと。
11年以上にわたり4つも下の代が加入するまでグループに留まり、その背中を後輩に見せてくれたこと。
何より、こんなにもグループを愛してくれたこと。
最年少が「やさぐれ」も「やらかし」もせず、勘違いにも甘ったれにもならず。
大エースへと成長し、かつグループを愛し長くそこに留まってくれた。
そして最年少だからこそ、オリジンのスピリットを継承することができた。
こんな理想的なことありますか。
全部が全部、奇跡としか言いようがない。
これもちょっと蛇足ですが、彼女がブレイクしたのも最高のタイミングでした。
『裸足でSummer』がリリースされた当時、駅のホームで電車を待っていたら周りにいた男子高校生たちが「飛鳥ちゃん、めっちゃ可愛いよな!」と盛り上がっていたのを憶えています。
2016年ですから白石麻衣ら御三家が24歳、西野七瀬ら94年組で22歳の年。
彼女たちが中高生からするとだいぶお姉さんになっていた頃です。
しかもその年の4月には欅坂46がデビュー。
『サイレントマジョリティー』のMVが強烈なインパクトを与えます。そのインパクトとフレッシュさで一気に中高生からの支持を獲得しているまさにその最中でした。
あまり語られていませんが、このタイミングで学生の年齢層に対して齋藤飛鳥が訴求できたのは乃木坂にとってめちゃめちゃ大きかった。欅坂の勢いに飲み込まれず、三番目の風が吹くのを待つことができたのは彼女の功績でしょう。
私が(勝手に)齋藤飛鳥の本質に近いと思っている言葉がふたつあります。
いつのことだったか思い出せないのですが、同期に対する想いとして語ったもの。
とにかく幸せであってくれ
もうひとつは、5期生募集CMの中で。
人の事を想ったら、
自分を好きになれるなんて
知りませんでした。
この言葉が飛鳥ちゃん発信かどうかは知りませんが、その歩みをずっと見てきたファンとしては彼女自身からのものに聞こえます。
お姉さんたちに愛された飛鳥がいつしか周囲を大きな愛で包むようになった。
そんな年月の重さを感じさせるふたつの言葉です。
最後に、これからの彼女について。
CMではちょこちょこ見るけどTVにはあまり出てこない、「生活の匂いがしない」タイプのタレントさんになってくれたら嬉しいです。
でも、まずはゆっくり休んでほしいですね。
齋藤飛鳥さん、11年以上にわたり本当にお疲れさまでした。
◇
note上で乃木坂46に関する有料記事を公開しています。どちらも無料で読める部分がありますのでぜひご覧ください。
『アンダラ伝説』¥300
伝説のアンダーライブ2ndシーズンを題材にしたセミドキュメンタリー小説。あの頃の熱量を叩き込んだ渾身の50,000文字です。
マガジン「2019年の乃木坂46」¥200
過去に当ブログに掲載した記事を再構成し加筆したもの。総文字数10万文字、加筆部分だけでも22,000文字以上のボリュームでブログをご覧になった方にも楽しんでいただけることと思います。